アニメ、中二病でも恋がしたい!のEDテーマのカップリングにOUTSIDER(アウトサイダー)という曲が入ってる。

ここでそのOUTSIDERを云々しようというわけではなく、それを見てアウトサイダーを途中まで読んでぶん投げてあったのを思い出したのだ。


●アウトサイダーとは何ぞや

アウトサイダーとは、一般には社会秩序の内にあることをみずからの意志で拒否しているもの、社会不適合者を指す。
しかし、なぜそうあるのか、どうしてそうなってしまうのか、アウトサイダー像を分析することで解明しようとしたのが、コリン・ウィルソン著、アウトサイダーである。



文章自体はかなり難解だ。
そして、アラビアのロレンスやゴッホなどの実在の人物、ドストエフスキーやニーチェなどの小説群をもってアウトサイダーを解き明かしていく。
しかし、次々と話が移り変わる上に文章が難解なので何を言っているのか分からなくなってくる。
この感じに慣れるまで眠いことこの上ない本だ。
だから途中でぶん投げてしまったのだけれど。


結論を言うと、私たちはアウトサイダーのことを何も解ってはいなかった。
アウトサイダーが爪弾きにされている社会とは、あくまで大多数を占める社会適合者(インサイダー)の社会であり、そこから見ても何も分からないのだ。
せいぜい、俺達の社会に、ルールで適合しないもの、できないものくらいのものだ。


しかし、アウトサイダーを分析することで見えてきたのは、

1.アウトサイダーはアウトサイダーたることをやめたがっている。
2.バランスのとれた人間たることを望んでいる
3.感覚による知覚を鋭く生き生きとさせることを望んでいる(ゴッホ、ロレンス、ヘミングウェイ)
4.人間の魂と、その働きを理解することをも欲している(バルビュス、ミーチャ・カラマーゾフ)

上記のことは、多くのインサイダーは考えもしないことだろう。
アウトサイダーはあまりにも多くのことを見通す為に(インサイダーが考えもしないこと)アウトサイダーとなってしまう。


多くのインサイダーはお金を稼いでは使う普段の生活に手一杯である。
9割方はそれに割かれていると言っても過言ではないだろう。
もちろん、私達が手に入れた便利な生活は、ほとんどの皆がそうであった為だ。
それは否定しない。
しかし、人間はその為だけに生まれてきたのかと問われると、そうだとは言いたくない。
私は人間はもっと高尚なものだと考えてる。


世界にあるどの樹の一枚の葉も、一点の埃も、その一つ一つが、限りない悦びを感じさせる別個の世界となる。
その悦びを感じられぬとしたら、それは、くだらぬことに時間とエネルギーを使い果たした本人のせいでもある。
そう、世界は悦びに満ちている。
しかに多くの人は(私も含めて)、普段の生活でエネルギーを使い果たしてしまいそれに気付くことができないでいる。


アウトサイダーはそのような世界の肯定を自分の意志で行いたいと考えている。
インサイダーは世界のおかげだと考えるとアウトサイダーはそうではない。


自分の意志での世界の肯定は、おのれを深く知り、自分の弱さや分裂しがちな心の調和を目指さなければできないことだ。
これが、人間が生きる為の究極の動機ではなだろうか。


インサイダーの生きる目的の多くは仕事と娯楽である。
それらを取り上げたら生きる目的をなくしてしまうに違いない(私も含めてだけれど)。
それは真に生きる動機を欠いた行為であり、現代文明の最大の悩みは倦怠であると説く。


私たちは、あまりにも社会に浸かりすぎている。
社会の中にあるものだけを求め、それで良しとする行為はやはり倦怠なのではないだろうか。


世界は悦びに満ちている。
アウトサイダーはそれを教えてくれる。


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