いざっ!へうげもの

日頃自分が気になった事物を面白おかしく紹介します。

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東日本大震災

なぜ未だに放射能は穢のごとき扱いを受けるのか

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(写真は六ケ所村の再処理工場のものです)


中学生の作文コンクールのツイートが流れていた。
福島から来たということで、偏見を受けたということと、一方では共感されたという話である。
許可は取っていないけども、引用させていただきます。
https://twitter.com/TukikoH/status/805646518778662912/photo/1


未だにそういう偏見があるのだなと思ったのが正直なところだ。
でも、放射能の知識が更新されていなければ、何年経っても一緒なのかもしれない。
作文には共感し手を差し伸べたい等あるが、その大前提となるのが正しい知識である。


例えば、エボラ出血熱の患者に共感をしたとして、防護服無しで看護に当たるのはただの自殺行為である。
逆に、放射能は感染らないという知識がなければ、援助物資お断りみたいな話になるし、仮に共感したとしてもわだかまりは残るだろう。


先日起きた、福島県から避難した子供へのいじめや、担任教師が菌呼ばわりしたことの原因はメディアのデマを広げたせいだとされているが、私はちょっと違うと思う。
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20161125/Bizjournal_mixi201611_post-8503.html


私たちに放射能の知識があれば、仮メディアがデマを広げても信じることはあるまい。
結局のところ、日本各地にこれだけ原発がバカスカ建っていながら、まともな放射能の教育をしなかったことに要因があると思う。
なぜか、原発の安全神話が崩れるからである。


原発の安全神話は、一言で言って嘘っぱちである。
が、日本国民はそれを信じた。
原発はそもそもの出発点からして嘘である。
その嘘が露呈すれば、建設から40年で廃炉にしてまた建てるという、延々と続く甘い汁が吸えなくなってしまうからである。
で、原発に対する風当たりが強くなって来れば、40年での廃炉は科学的根拠がないからもっと使えとした。


今のような現状は、都合の悪いことを隠してきたツケである。
何十年と続けてきたことを数年で更新することは容易なことではない。
差別や偏見、いじめの理由は様々であるが、こと放射能に関するものについてはもう少し続くのではないだろうか。
本当にアホみたいなことだけども、人間一度信じたことを疑うことは非常に難しい。
もちろん自分も人のことはいえないけども。

国境を駆ける医師イコマ・反原発日本編が無料公開中です。

高野洋さんによるマンガ、国境を駆ける医師イコマ・反原発日本編が無料で公開中だ。

著作権は放棄してはいないが、使用と拡散はOKとのこと。

単行本は諸事情あって今は手元にないものの、題材はかなり重いものの、とても好きな作品だ。



今回のイコマは東日本大震災を扱っている。

震災から4年半経ったとはいえ、人々の記憶には地震や津波の体験や映像は未だ鮮明に残っている。

私は、津波はニュースや動画等で見た限りであっても、津波の描写は正直くるものがあった。

http://takanohiroshi.wix.com/takano


現在2話までが公開されており、1話目の流れからすると、災害救助よりは、福島第一原発の事故による放射線や放射性物質による障害とそれらの隠蔽が主題となりそうだ。

現段階においては、甲状腺がんが増えいている、いやいや元々あったがんがスクリーニングで見つかっただけだなど、未だ錯綜しているというのが正直な感想だ。

http://ebm-jp.com/2013/11/news-455-2013-7-p01/



また、心不全、倦怠感(原爆ブラブラ病)、鼻血等、症例があるとされているが、それらはストレスということになっている。

http://matome.naver.jp/odai/2131334318252184601


ちなみに、私の周りでも一人心不全で亡くなっている。

千葉県だし、恐らく放射能は関係ないだろうけども、一応報告はしたい。



仮に上に挙げたような症状が放射線や放射性物質由来であったとして、それらを公表すれば、美味しんぼの例を見るまでもなく、風評被害だとして圧力がかかるだろう。

でも、それらが風評でなかった場合、苦しむのは原発立地自治体の人たちであり(東日本大震災は立地自治体では済まなかったが)、避難できない弱い人達である。

高野先生には、真実に光を当ててもらいたい。

今更蒸し返すなという話も当然あるだろうが、チェルノブイリにならうのならば、むしろこれからなのである。



ところで、高野先生はツイッターをやられていて、私はいつの間にかフォローしており、光栄なことにフォロー返しもしてもらっている。

マンガ公開はそのツイッターで知った次第。

https://twitter.com/takano_hiroshi_

震災から3年。利権と保身の為に平気でウソをつくところは全く変わらなかったな・・・

東日本大震災と福島第一原発の事故から3年が経った。
被災地の東北は未だ復興からは程遠い。
放射能の問題もそうだ。


この3年でよく分かったのは、人は金や立場のためならば平気でウソをつくということだ。
結果入ってくる情報は二極化する。
つまり、福島(福島だけに限らないけども)は大丈夫かダメかである。


被害を小さく見せたい立場の人は、安部首相の福島第一原発の汚染水はコントロールされているのように事故を矮小化しようとし、避難している人はもうダメだと発言する。
物事の一部を取り出せば確かにそうなる。


汚染水だって、一部だけを見れば確かにコントロールされているといえよう。
でも、全体を見ればおよそコントロールされているとはいい難い。
コントロールされているのであれば、なぜ意図しない箇所から漏れまくっているのか。


以前、福島第一原発の沖合の放射性物質の数値が問題ないことを取り上げて、これを見てもまだ不安だという人にはなんていったらいいか分からない、といっておられてた方がいた。
私はそれを受け、この数値だけを見て安全だといっちゃう人にはなんていったらいいか分からないといった。
なぜか。
そんなのはその数値が出た経緯を見れば明らかだ。
例えば、海へ放出する排水の放射性物質を計測した上で問題ないとし、その後に沖合の計測値で問題ないとなったならば安全だ。
しかし、意図せず漏れ、その結果の数値なのだから、そんなものは偶然である。
私が懸念した通り、その後に満水のタンクに汚染水を入れて溢れさせた事故があった。


●福島第一原発事故を受けて見なおした、新しい放射線副読本が完成

文部科学省は3月3日、新しい放射線副読本を公表した。
小学生用と中高生用の2種類あり、平成26年度から使用できるよう、希望する全国の学校に配布するという。
正しい知識を身につけ、風評被害を防ぐことが目的だとラジオでやっていた。
http://resemom.jp/article/2014/03/04/17394.html


放射線の基礎知識はともかくとして、「事故の説明や被害実態、除染作業の様子などを説明。被災地に対する風評被害や差別についても触れている。」はどうも胡散臭い。
福島は実際は大丈夫で、風評被害が問題だともっていきたいのではないか、そんなふうに取れなくもない。
実際国としてはそうしたいところであろう。
首相がコントロールできてるとかいっちゃってるのに、今更本当はダメでしたとはいえまい。


もちろん風評被害を防ぐ手立てとして、正しい知識を身につけるというのは正しい。
その上で他の言動(マスコミやもちろん国も)に惑わされず、個々できちんと判断すれば風評被害は防ぐことができる。


で、私の結論としては、風評と実被害の双方があるということだ。
食べ物であれば、放射性物質を計測し100ベクレル以下(ベクレルという単位は、放射性物質がどのくらい放射線を出しているかという数値であり、それを受けて人体がどうなるか分からない以上、1ベクレルも入れない方が望ましいと私は思うが)であれば問題ないとし、それ以上であればはじく。
上記の計測結果を受けての判断を曖昧にしようとする「食べて応援」はもってのほかである。
そういう意味でいえば、大丈夫な方の結果だけを取り上げて、福島は大丈夫、食べて応援しようというのもじゅうぶん風評被害だといえる。


●生涯被曝300ミリシーベルトで被害増!?

ジャーナリスト、石井孝明氏のツイッターに「チェルノブイリでは生涯被爆300mSv超増で被害増。今回そこまで日本ではゼロ」という発言があった。
https://twitter.com/ishiitakaaki/status/442234446494720000


見つけたのがこちらの記事なので、このことをいったのだろう。
http://agora-web.jp/archives/1585713.html
仮に年間20ミリシーベルトで居住可能とすると、15年でこの数値に達することになる。


自分でも調べてみたところ、100ミリシーベルトごとにガン化のリスクが0.5%ずつ上昇するというものしか出てこなかったが、一方で国立がん研究センターのものだという資料があった。
http://goku.s267.xrea.com/genpatsu/2013-11-04/


たぶんこれは最悪の数字であろう。
しかも放射線については個人差が大きいので低い線量の場合は一概にいえない場合がある。
というより、まだよく分からないというのが正確なところだと思う。
福島は問題ないという人は、一応過去の事例からみて問題ないんじゃね?といっているに過ぎず、科学的に安全が立証されているわけではないということだ。
そういう意味では、福島では現在進行形でその検証がなされているということになる。


私のスタンスとしては、注意せよである。
福島だけでなく関東にもホットスポットはある。
安全な箇所もあるが危険な箇所もある。
一概にはいえないということだ。
それは福島だろうが関東だろうが変わらない。


可能な限り早く復興はなされて欲しい。
でも、結局上の意向に沿っての復興は本当にいいことなのか疑問がある。


危険なものも安全といい、コントロールされていないものもコントロール下にあるという。
結局震災を受けて尚、日本のそういうところだけは変わらなかった。
その延長線上の復興で本当にいいのだろうか・・・。



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ケサランパサランを初めて読んだ。多くの人は知る権利を放棄しているのではないか!?

ジャーナリズムとは何か。
報道(ほうどう、英: Report)とは、ニュース・出来事・事件・事故などを取材し、記事・番組・本を作成して広く公表・伝達する行為であり、言論の一種である。報道を行う主体を報道機関という。報道の媒体をメディアと呼ぶ。
報道は社会的に非常に大きな力をもっており、「立法」「行政」「司法」の3つの権力にこの「報道機関」を加え、「第四権力」とも呼ばれる。
ジャーナリズム(英:Journalism)とは、日本以外において報道姿勢、報道活動、報道機関やその業界のことを総括した意味をもつ言葉である。
報道は報道を受け取る大衆との信頼関係の上に成り立っている。 この為、報道は事実に基づいたものである必要があり、事実を追求するための取材が不可欠である。 憶測や推測に基づく記事は、信憑性が失われる原因となり、結果として信頼関係を失うこととなる。 取材をして裏付けを取り、事実を報道することが、報道の原則である。
ウィキペディアより。


現在多くの人の情報源となっている新聞やテレビは果たして真実を伝えているだろうか。
答えは否である。
新聞やテレビの情報は、誰かがある意図をもって言った事を右から左で伝言ゲームで流しているに過ぎない。
納豆を売りたければ納豆は体に良いという情報を流し、そうすれば翌日店頭からは納豆が消える。
バナナを売りたければバナナだ。
要は金になること、金や権力に阿っているのだ。


こういう(特に健康情報には顕著)情報にはもともと懐疑的だったが、決定的だったのはやはり3.11の原発事故だろう。
震災から2年が経つにも関わらず、未だ故郷に帰ることすらかなわないのは1にも2にも原発事故のせいである。
線量が高く、帰るに帰れない。
除染を進めてはいるものの今ひとつ効果が上がらない。
業を煮やし政府は、基準自体が達成困難なものであるとしてきた。
終いには、必要以上に放射能を危険だと煽っているとまで言い出した。
新聞各社はその大本営発表を垂れ流し、放射能は心配いらないと国民に植えつけていく。
放射能が心配だと口にしようものならキチガイ(言葉は悪いが)扱いだ。
一部の利権者や利権を守るためには、政府や報道各社は平気でウソを垂れ流すことを3.11以降知った人は多いはずだ。
かういう私もそうである。
それまでジャーナリズム云々、考えたことも無かった。


ジャーナリストの上野さんを知ったのはツイッターでだ。
日本は原爆を持つべきか否かで突っ込まれた。
http://yukyu.seesaa.net/article/321811211.html
最初の印象は正直あまり良いものではなかったが、上野さんのツイートを追ってみると、言葉は悪いが(笑)一本筋の通った人だと思えた。
それで上野さんの書かれている「ケサランパサラン」を買ってみようと思った次第だ。

●ケサランパサラン

初めて読んだケサランパサランは実に面白いものであった。


原発事故後、あえて地元福島県の企業に就職した方のことには目頭が熱くなった。
実際に福島県に住み、復興を目指す人達のことはあまりニュースでは触れられていないことである。


学生ボランティアの方へのインタビューは、自分の今置かれている安穏とした状況はたまたま運が良かっただけで、次の瞬間には崩れるかもしれないほど危ういものであることを思い知らされた。
あれだけの震災があったが、被災していない人にとっては地震も津波も放射能も自分には関係ないことだと思っているに違いない。
明日もいつものように会社や学校に行って、生きる作業ができる保障なんてどこにもないのだ。
また、ゆとり世代に対していかに自分が狭量であったかもだ。


あまりニュースで取り上げられないとういことで、一番興味深く読んだのは元オウム真理教の上祐さんへのインタビューだ。
いずれ日本全体がオウムと化すかもしれないというものだ。
オウム真理教と言えば地下鉄サリン事件だが、実際に被害に遭われた方でもない限りは自分には関係ない、遠い世界の出来事であると思っているはずだ。
私個人としては、オウムではないが宗教に関してはちと嫌な思い出があるので、けっこう身近なものとして感じた。
それについては自分の恥を晒すことになるのだが、いずれ書きたいと思う。


とかく日本人は極端から極端に走りがちだ。
ギリギリまで溜めこんで一気に爆発する。
しかも、自分の命運を左右するような大事なことを平気で他人任せにしてしまう。
戦時中の日本軍のように、日本全体がオウム化する可能性も十分にあるのだ。
ましてやこの閉塞した現代だ。
カリスマ性を持った政治家は現れたら、案外簡単にコロッと行ってしまうのではないだろうか。


そういうことにならない為には、一人一人がちゃんと考える必要があるのだと思う。
日々垂れ流されてくる情報を考えなしに受け取ることは、知る権利の放棄ではないだろうか。
知る権利とは、ただ知るだけではなく、知った上でちゃんと自分の頭で考えることだと思うのだ。
そんなことを考えさせられた。

ダウンロードはこちらより可能です。
1部450円ですが、無料のお試し版もあります。
http://www.kesaranpasaran.net/

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レビューポータル「MONO-PORTAL」

締め切りまであと3日。原子力災害対策指針(改定原案)にパブコメ出したった

原子力災害対策指針(改訂原案)」に対するパブリックコメントが2月12日まで募集されている。
今日を入れてあと3日しかないので、出そうと思っている方はお急ぎを。
提出はこちらより。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=198252301&Mode=0


私の考えは、グリーンピースのHPにあったものと相違ない。
以下転載。


避難基準が毎時500マイクロシーベルトで高すぎ
(該当箇所:別添頁6表3)
避難基準が毎時500マイクロシーベルトとなっています。
500マイクロシーベルト=0.5ミリシーベルト。
2時間で一般人被ばく限度を超えてしまいます。


緊急防護区域30キロで狭すぎ
(該当箇所:別添頁1表1)
アメリカ政府は福島第一原発事故発生から5日後、日本在住のアメリカ市民へ福島原発周辺50マイル=80キロ圏内からの避難と退去の警告を発していました。
30キロでは狭すぎます。


SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の活用について
(該当箇所頁3「第3 緊急事態応急対策 (2)異常事態の把握及び緊急事態応急対策」)
グリーンピースは、SPEEDIをもっと予測で活用するべきだと考えています。
過酷事故の放射性物質放出規模を想定し、その土地に吹く風の特徴や地形その他の条件を反映させて、何度もシミュレーションを重ね、事故の影響範囲を予測する――そのためにこそSPEEDIを活用することが重要です。
(原子力規制委員会は、原発事故時に住民の避難の判断をする際、SPEEDIは使わないとしています。委員会はその理由を「信頼性がない」からとしていますが、実際は、SPEEDIのシミュレーションは、汚染の実態と照らし合わせても正確で、信頼性がないのは情報を隠した政府でした。)
http://www.greenpeace.org/japan/ja/news/blog/staff/212/blog/43906/


●べきでは弱い!

私が気になったのは、33ページにある以下の文言である。

上記の異常事態の把握においては、原子力事業者は、施設の状況や放射性物質の放出状況(量、組成、継続時間等)に関する詳しい情報が得られない場合でも、得られた範囲の情報を基に速やかに該当する緊急事態区分を判断し通報すべきである。
独立行政法人原子力安全基盤機構、独立行政法人日本原子力研究開発機構、独立行政法人放射線医学総合研究所その他の関係機関や他の原子力事業者等は、その専門家・要員及び保有する原子力防災資機材等を動員して、必要な場合には原子力災害対策に積極的に協力すべきである。


「べきである」と2箇所ある。
「べき」じゃないだろ「する」だろ。
別機関であるからこういう書き方になってしまうのだろうけど、これでは強制力がなにかと理由を付けてやらないということが起きかねない(特に原子力事業者)。
「べき」ではなく「する」と表記を変更するよう書いておいた。
「させる」でも良かったかもしれない。


何を細かいことをと思うかもしれないが、復興予算は「活力ある日本全体の再生」というたった一文によって官僚のどんちゃん騒ぎを招いた。
「べき」は願望であるから、そこからは責任逃れの意図が感じられる。


個人的にはこういう細かい言葉の端々を云々することは嫌いだ。
でも、たったそれだけで命運の分かつこともあるかもしれない。
次原発事故が起きれば、本当に日本を捨てなくてはならないかもしれないのだ。


グリーンピースのHPにあるが、考えれば考えるほど廃炉しかない。
私も同感である。



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