痛ましい事件が起きた。
大阪市立桜宮高2年でバスケットボール部主将の男子生徒=当時(17)=が顧問の男性教諭(47)から体罰を受けた後に自殺した。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130111/crm13011107430003-n1.htm
体罰は恒常化していたようだし、30発も40発も殴られるなんて考えられないことだ。


また、市の基本方針から逸脱し、18年間異動が無かったという。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130110/crm13011012130009-n1.htm


顧問の男性教諭は以前にも体罰で懲戒処分を受けていたという。
もう一度チャンス云々言ってはいるが、学校の体裁を守る為の隠蔽と見るのが妥当であろう。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130111/waf13011101150001-n1.htm


今回は明らかに教育からは逸脱した行為であろう。
そこに異動が無かったことでの閉鎖的環境と杜撰な調査が重なり今回の事件は起きた。
きちんと対応していれば防げた事件だったと思う。
それだけに残念でならない。


●それでも体罰は絶対ダメか

体罰は学校教育法によって禁止されている。
体罰と言うとぶん殴る行為を想像するが、トイレに行かせない、教室に入れない、または出すこと、または留め置くことによる身体的苦痛も体罰に当たる。


トイレに行かせない等は論外として、いわゆる殴る行為による体罰は本当に絶対やってはいけないことなのだろうか。
私はそうは思わない。
言って聞かない奴には体罰は必要だと考えている。
もちろんそれは最終手段としてであり、件の教諭のように恒常化してはいけない。


そして、体罰はダメでも言葉の体罰(暴力)は良いのか?という話も出てくる。
言葉も体罰以上いダメージを与える。
とすると、体罰はダメで言葉は良い理屈にはならない。


私は、体罰には2種類あると思う。
一つは教育であり、もう一つは暴力だ。
その線引は曖昧であり、各教諭の判断に委ねられる。
教諭も人間であり、生徒も人間だ。
通り一辺倒には行かない。
そこを埋めるのが、教諭の教育ではないだろうか。
教育と暴力の線引、それが分からない教諭は体罰はおろか、言葉による教育だってまともにはできないのではないだろうか。


また、教諭は世間知らずだという側面がある。
大学を出て、二十数歳で先生と呼ばれるのだ。
教育以外の分野なんて分かるはずがない。
要は雑味が無いのだ。
専門性はある意味では必要だが、一方では非常に危ういと言える。


今回の事件は今後どう報道されて事実が明らかになるかは分からないが、実際は相当根深いものではないかと私は見ている。


マンガ、クニミツの政には、学級崩壊した教室やダメ高校を立ち直らせる話が出てくる。
マンガと侮るなかれだ。
今、教育の現場に必要なのは、こういう無駄な知識ではあるまいか。



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