いざっ!へうげもの

日頃自分が気になった事物を面白おかしく紹介します。

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教育

政治的中立をいうのは簡単だが、現実には非常に困難なことである

自民党が「子どもたちを戦場に送るな」と、中立を逸脱する教育をしている教師を通報するよう入力フォームを作成していたことが話題になっている。
その後「安保法案を廃止にすべき」と、文面を変更したことも姑息だと話題だ。
http://lite-ra.com/2016/07/post-2403.html?utm_source=rss20&utm_medium=rss


確かに「子どもたちを戦場に送るな」や「安保法案を廃止にすべき」は中立とはいえないだろう。
しかし、その逆(子どもたちを戦場に送ること、安保法案に賛成)も中立とはいえない。
反対意見だけを取り上げて中立ではないと安易に断ずることは、明らかに自民党の望むことから逸脱する教育していることを問題とし、そうした教師を密告せよとしているようにしか見えないし、事実そうなのだろう。
このことから、自民党もけっこう焦っている(単に頭が悪いだけなのかもしれないが)のではないかと思うが、それは今回の主題ではない。
いかに政治的中立を保つかということだ。


●物事に対して中立を保つには

政治的にせよその他の物事に対して中立を保つには、結局のところ両方かつ、その間にある様々な意見を知った上で自分で考えなければならない。
子どもたち戦場に送る云々に対しては、送るなという意見、送れという意見、その考えに至る背景、歴史的な側面等様々な意見を考慮した上でなければなされない。
それは簡単な道ではないし、恐らく正解は数数多存在することだろう。
ということは、中立とはけっこうあいまいだともいえる。


そういう過程をすっ飛ばしてある一方の意見を取り上げて中立でないとする行為は、結局何も教えるなといっていることに等しい(今回の件は積極的に戦場に送れと教育しろという意味かもしれないが)。
清濁を併せ呑まない中立なんて、単なる事なかれ主義でしかないと私は思う。

体罰は本当に絶対ダメなのか。

痛ましい事件が起きた。
大阪市立桜宮高2年でバスケットボール部主将の男子生徒=当時(17)=が顧問の男性教諭(47)から体罰を受けた後に自殺した。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130111/crm13011107430003-n1.htm
体罰は恒常化していたようだし、30発も40発も殴られるなんて考えられないことだ。


また、市の基本方針から逸脱し、18年間異動が無かったという。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130110/crm13011012130009-n1.htm


顧問の男性教諭は以前にも体罰で懲戒処分を受けていたという。
もう一度チャンス云々言ってはいるが、学校の体裁を守る為の隠蔽と見るのが妥当であろう。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130111/waf13011101150001-n1.htm


今回は明らかに教育からは逸脱した行為であろう。
そこに異動が無かったことでの閉鎖的環境と杜撰な調査が重なり今回の事件は起きた。
きちんと対応していれば防げた事件だったと思う。
それだけに残念でならない。


●それでも体罰は絶対ダメか

体罰は学校教育法によって禁止されている。
体罰と言うとぶん殴る行為を想像するが、トイレに行かせない、教室に入れない、または出すこと、または留め置くことによる身体的苦痛も体罰に当たる。


トイレに行かせない等は論外として、いわゆる殴る行為による体罰は本当に絶対やってはいけないことなのだろうか。
私はそうは思わない。
言って聞かない奴には体罰は必要だと考えている。
もちろんそれは最終手段としてであり、件の教諭のように恒常化してはいけない。


そして、体罰はダメでも言葉の体罰(暴力)は良いのか?という話も出てくる。
言葉も体罰以上いダメージを与える。
とすると、体罰はダメで言葉は良い理屈にはならない。


私は、体罰には2種類あると思う。
一つは教育であり、もう一つは暴力だ。
その線引は曖昧であり、各教諭の判断に委ねられる。
教諭も人間であり、生徒も人間だ。
通り一辺倒には行かない。
そこを埋めるのが、教諭の教育ではないだろうか。
教育と暴力の線引、それが分からない教諭は体罰はおろか、言葉による教育だってまともにはできないのではないだろうか。


また、教諭は世間知らずだという側面がある。
大学を出て、二十数歳で先生と呼ばれるのだ。
教育以外の分野なんて分かるはずがない。
要は雑味が無いのだ。
専門性はある意味では必要だが、一方では非常に危ういと言える。


今回の事件は今後どう報道されて事実が明らかになるかは分からないが、実際は相当根深いものではないかと私は見ている。


マンガ、クニミツの政には、学級崩壊した教室やダメ高校を立ち直らせる話が出てくる。
マンガと侮るなかれだ。
今、教育の現場に必要なのは、こういう無駄な知識ではあるまいか。



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成績低下が理由で子供シェルターへ!?

過程で暮らせな子供達を保護する民間の子供シェルターへの入所者が増えているという。
成績低下など、教育を理由に親から虐待を受けることで入所となる事例が多いという。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120825/k10014534421000.html


成績不振は本人ではなく、他に原因があることが多い。
それは親かもしれないし学校かもしれない。
虐待は、それを人(子供)に責任転嫁をしていることで起きていると私は思う。
だってみんなそうしているからだ。


●これは原発事故にも通じるもの

原発の事故にしても、私の見ている限り誰が悪い、彼が悪いに終始している。
事故の根本的な原因には触れずに人のせいにばかりしている。
結局誰かがクビを切られてはいおしまい。
原因追求はどこへやらだ。


罪を憎んで人を憎まずとうい言葉があるが、多くの人がやっているのは人を憎んで罪を憎まずであり、それで問題が解決するわけがないのだ。
結果生まれるのは自尊心を砕かれた人間である。


なぜそうするのか。
それはその方が楽だからに他ならない。
人の意志を介在させない原因追求は非常に面倒臭い。
だったら罪を誰かにかぶせてしまった方が楽なのだ。


それは非常に安楽で、卑怯な事ではないだろうか。



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