毎週楽しみにしていた「中二病でも恋がしたい!」が最終回を迎えた。
マヤの予言が正しければ見られなかっただけに、今回は外れて良かった?
痛かわいい六花ちゃんを愛でるだけのアニメかと思いきや、結局随分と含蓄あるところへの着陸だった。
これだけ毎週が楽しみだったアニメは久々だったので、寂しくなるなあ。


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六花にとっての中二病は現実に抗う術だった。
中二病を卒業し周囲に合わせることを選んだが、最終的には抗うことを選んだ。
まあ、全部勇太が絡んでいるのだが。


私も自分を殺して周囲に合わせることを良しとしていただけに、中二病を卒業した六花に自分を重ねて痛かった。
もし今、写真やブログ、ツイッターやフェイスブックなどを全て取り上げられてしまったら、きっと人生投げるだろう。
私にとっては、それが現実に抗う術なのだ。
でも、私には力も頭もない。
それが歯がゆいのだけれど。


中二病はいつか卒業し、周囲に合わせることが大人になることだとされているが、同時にそれは現実への隷属でもある。
抗うという行為は、現状に満足せずにより良い状態を望むことであり、未来に希望がなければできないことだ。
閉塞感漂う現代において、この作品を通じてそんなことを伝えたかったのではないかと思う。


それは、勇太が2年後の自分へ宛てた手紙に如実に表れている。

勇気ある友 勇太
From Dark Flame Master

この手紙をお前が読む頃、お前は既にダーク・フレイム・マスターでは無いかもしれない。
2012年マヤの予言により、世界を覆う滅びの波動は全てを飲み込み、精神波動を弱体化させるからだ。
お前は全てを達観し、あきらめ、ただ目の前に見えるものを享受するだけの愚かな一般人に成り下がっているかもしれない。
そんな気配を今、俺は感じている。
だからこの手紙を書いた。
ダーク・フレイム・マスターよ、騙されるな。
お前には力がある。
お前は闇の王、邪王によって選ばれし存在。
誰でもない。
お前は特別なのだ。


そう、人には力があり、皆特別なのだ。


また、感動経営コンサルタント、角田 識之さんはSK(スーパー勘違い)を提唱している(フェイスブックで友達になっているので、ちょっと書くのが恥ずかしいのだけれど)。
「SK宣言」とは、自分が登頂したい「山」を決めることなのです。
「登れるか登れないか」は関係ありません。
「本気で登りたい」と思うかどうかです。
「本気で登りたい」となると、山には標高が出ます。
これが「指標」です。
そして、いつまでに登るかです。
これが「期限」です。
この「宣言・指標・期限」の三点セットを定め、一歩踏み出せば、以下のものが見えてきます。
どのようなルートなのか?
この登山は、単独か?チーム(登山隊編成)か?
どのような装備、訓練、資金が必要か?
これが「走りながら考える」ということです。
そして、最後に必要なことは、「あきらめない」ことです。


中二病だって勘違いだ。
現実に抗う為の勘違いだ。
この心を忘れてしまっては、人は一体何の為に生きるというのだろう。
単に子孫を残す為か?
そうではないだろう。


「すべての偉大な人間は、自己の理想を演じる俳優である」と言ったのはニーチェだったか。
人間はすべて潜在的な英雄そして天才であり、ただ無気力さが人びとを平凡にとどめている。


現状に甘んじるな。
現実(リアル)抗え!


私達には力がある。
そう、私達一人一人は皆特別なのだ。



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