車の中でラジオを聞いていた。
ガレッジセールのゴリさんと、NEWSの加藤シゲアキさんのやっている、wktkラヂオ学園という番組だ。
どちらかと言うと大人向けの番組の多いNHKラジオ第一の中では、若者に向けている異質な番組だ。
好んで聞いているわけではないが、他に聞くものもないので聞いている。
http://www.nhk.or.jp/wktk/shigegori/index.html


番組中、ゴリさんが、「情けは人の為ならず」という言葉の意味を知って驚いたと言っていた。
加藤君知ってる?なんてやってた。
加藤さんは「情けをかけるのはその人の為にならない」と答えた。
ゴリさんはブッブー、と。
「情けは人の為ではなく自分の為にだから進んでやりなさい」ってことなんだよって、きっとドヤ顔しながら言っていたのだろう。


それを聞いていた私は、へー、そうなんだ、なんて思うはずもなく、そんなことを知らなかったのか、と世の中の人の無知を嘆いていた。
その時はそのくらいにしか思わなかった。


その後、知人からちょっと立ち入った打ち明け話を聞かされた。
その時頭をよぎったのが「情けは人の為ならず」だ。
なぜか。


「情けは人の為ならず」の正しい方の意味として解釈するのであれば、情けをかけることでそれは自分に回ってくるのだから、手を差し伸べるべきだ。
だが、安易な助けはその人の為にはならない。
勉強を教えるときに、本当は解き方を教えなければならない所で、それをすっ飛ばして答えを教えてしまうようなものだ。
応えを得られれば良い局面であっても、両者の違いは大きい。


「情けは人の為ならず」を、情けをかけることは自分の為である、と解釈することは、間違いとは言わないまでも正解ではない。
きっと「情けは人の為にならない」という意味も含んでいるのではないだろうか。
つまり両義である。


そしてもう一つ。
昔の人が、情けをかけることで自分に回ってくる、つまり見返りを前提とするようなさもしい考えを大仰に残すだろうか。
人とは他人であり、人(自分)でもある。
つまり、情けは他人の為でも自分の為でもない。
なんとも禅問答のようなものをそこから感じるのだ。


では誰のため?
それは私も分からない。
それを知る為に人は生きているのですかねえ。


●見返りを求めない厳しさが本当の優しさ

私なりの回答として持っている言葉が上記である。
マンガ、イリヤッドに出てきた一文だ。

IMG.jpg

情けは人の為だのなんだの関係ない。
「情けは人の為ならず」の言葉の持つ深淵は案外そこなのではないだろうか。



↓ このブログで知的好奇心を満たせ!!

学問・科学 ブログランキングへ