トルコの海岸に打ち上げられた一人の男の子の遺体の写真が世界に衝撃を与えた。
男の子の名前はアイラン。
シリアの内戦を家族で逃れてきた難民で、トルコのビーチリゾート、ボドルムからギリシャのコス島へ向かう途中転覆した。
http://jp.wsj.com/articles/SB12096842380967064583604581211692551093796


シリアの内戦も4年半に渡って続き、家を追われた難民は400万人とも言われている。
もはや周辺諸国ではまかないきれないとして、国連は日本にも難民の受け入れ要請をしている。
http://www.asahi.com/articles/ASH6L64RXH6LUHBI02J.html


●日本は難民を受け入れるべきか否か

日本も難民を受け入れるべきか否かと問われれば、人道的には受け入れるべきであろう。
だが、土地、経済、宗教、言葉等を考えると、厳しいと言わざるを得ない。
都市部はそもそも土地が少なく、地方に行けば、土地はあるかもしれないけども日本人ですら仕事が無い。
そして、言葉と宗教の違いは常に付きまとう。
どう見ても安易な受け入れは、双方ともに不幸になる結末しかないように思える。


どうしても受け入れるのであれば、住居や仕事などの整備を進め、ある程度の目処が立ってからとすべきだ。
そうでないと、犯罪に手を染めてしまうかもしれない(同じ状況に置かれれば、日本人だって同様だろう)。


また、難民だからと足元を見て、現代の奴隷制度と悪名高い外国人技能実習制度のようなことをやってしまうかもしれない。
そんなことをすれば、世界に恥を晒すどころではないだろう。


ではどうするか。
現実的には資金や物資の支援しかできないのではないだろうか。
日本政府に難民を受け入れる意思があるのであれば、その体制作りを進めるのも良いだろう。
また、紛争の終結の為の協力をする(とは言っても、どちらかの体制に付いての直接介入はできないだろうが)。


アイラン君の写真を見て、難民を受け入れろと叫ぶのは良い。
でも、感情を優先しては良い結果は生まないだろう。
むしろ叫ぶべきは紛争の終結である。
紛争が終わらなければ、難民は増え続けることになるのだから。


とは言え、紛争の原因が欧米の植民地支配や帝国主義にあるのだから、単純に空爆して収まるとも思えな。
負の連鎖、暴力の連鎖を断つにはどうするのか考えなくてはいけないのだろう。