いざっ!へうげもの

日頃自分が気になった事物を面白おかしく紹介します。

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ライフスタイル・暮らし

夏休みの宿題はメルカリで終わらせる!?

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今日で夏休みも終わりだ。
2学期制だったり、寒い地方の方々は夏休みの終わりも早かったりするようだけども、まあ、大概の人は31日で終了となろう。


しっかし、スゴイ時代になったものである。
夏休みの宿題がメルカリ買えるのである。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/08/25/mercari-homework_a_23179053/

物議をかもしたそうだが、私としては性根たくましいというか、そういうことでもお金が稼げるのだなと単純にスゲーと思った。
もちろん夏休みの宿題をメルカリで買って終わらせたところで、終わったという結果は手に入るかもしれないが、計算問題の復習や、まがりなりにも本を読むという過程を完全にすっ飛ばすことになるので、本来の目的とはまったく乖離したものとなる。
宿題を買うことによって終わったという結果は手に入るものの、自分でやることで本来できるようになっていたことができなくなるというリスクを負うことになる。
そして、次回もまた買えばいいやと高をくくっていると、今度は出品されてなかったなんてことがあるかもしれない。
もちろん既にSOLD OUTや、高くて買えないなんてこともあるかもしれない(やはり一番値上がるのは31日なのだろうか)。
そういうことを理解した上で買うのは悪いことではないと思う。
むしろ、それはそれで素晴らしい教育であると私は思う。
お金を出せば大概のことでできてしまう現代社会において、それは素晴らしい悟りである。
そして今度は宿題をさっさと終わらせて売る側に回るwwww
立派な大人の仲間入りである(大人でもこれが分かっていない人は多いと思うが)


とまあ、ここまで書いておいてなんではあるけども、私は夏休みの宿題はなくていいと思っている。
夏休みの友と称した計算ドリル、読書感想文、統計図表、あんなものはいらない。
しかもそれで優れたものには表彰するとか、バカかと思う。
せっかくの長い休みがあるのだから(欧米に比べれば日本は短いけども)、普段できないことをやるべきだ。
自転車で日本一周もいいと思うし、長期間の旅行、好きなものを極めるなどなど、普段の生活ではできないことがたくさんある。
それらを潰してまで計算問題をシコシコやる意味なんてない。


そして、子供が好きなことをやるには、大人もきちんと長期の休みが取れることが必要だ。
大きくなってしまえば一人で勝手にやるが、小さいうちはそうはいかない。
子供が巻き込まれる犯罪も多いので目を離すのは危険だ。
というわけで、日本も欧米を見習って長期の夏休みを大人にも導入しましょう!!


ただ、リンクは発見できなかったが、仕事はバカンスの為にすると豪語するイタリア人も、低所得で長期のバカンスを取れないという人が多くなってきているという。
仮に日本で長期の休暇が取れるようになっても、それを楽しめるのは金持ちだけとなろう。
日本人が長期休暇を取れるようになるまでの道は遠いようだ。

世の中おもしくねーなあ

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先日(といってもかなり前だけども)、夜中にウトウトしながらラジオ深夜便を聞いていいると、茨城弁太郎さん(確かそうだったと思う)という方が茨城弁の解説をされていた。
その中で言葉が縮まるというのがあり、例として「おもしろくない」→「おもしくない」と挙げていた。
それを聞いて長年の疑問(というほどのものでもないのだけども)が氷解した。


中学の頃、「おもしくねーなー」と、事あるごとに言っている友達がいた。
ニュアンス的にそれが「おもしろく」を指すことは明白だったが、なぜだか知らないけれどそれがずっと心の奥の方に残っていたのである。
それが半分寝ながら聞いていたラジオ深夜便で、あーこれだったのかと、十数年越しでの疑問が氷解したのである。


でも、その友達は数年前に交通事故で亡くなってしまった。
中学を出て以降はほとんどつるむこともなかったのでお通夜に顔を出したくらいであったが、その時も「おもしくない」を思い出した記憶がある。
本当に気になっていたのであれば、「おもしくない」で検索すればこんなふうに一発で解決したことだろう。
http://www1.tmtv.ne.jp/~kadoya-sogo/ibaraki-o.html

それをしなかったのは、疑問に思いつつも大したことではないと思っていたからなのだろうけども、それを直接本人に聞く機会は失われてしまった。
別にそれが惜しいともしまったとも思わないのだけども、心残りであることも確かである。
生きてるうちに、そんな澱のようなものを溜めてることってけっこう多いなと思った次第である。

バニラ・エアの奄美空港での車椅子搭乗不可で自力で階段を登らせた事件を考える

半身不随で車椅子の男性が奄美空港から関西国際空港行きのバニラ・エアを利用した際、搭乗タラップを腕の力で自力で登らされる自体が起きた。
事のあらましはコチラ。
http://www.asahi.com/articles/ASK6X2C04K6XUBQU007.html


ツイッターを見てみると、件の男性はクレーマーで以前から度々この手の事件を起こしており、事前に連絡をしないのが悪い、とか、設備を用意していなかったバニラ・エア側に落ち度がある等、意見が二分している。
バニラ・エアの規定では、車椅子で搭乗する場合は5日前までに事前連絡することになっていたが、奄美空港への車椅子用階段昇降機は7月導入予定となっており、事前通知があったら搭乗は断っていたという。
車椅子用階段昇降機は事件後前倒しで導入されたという。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/28/vanilla-air_n_17315034.html


事件が起きたのは帰りであり、行きは介添人と助けで搭乗できた。
だから、男性がこの時点で取り得た行動は、無理やり乗るか、車椅子でも搭乗できる航空会社の便に変更するかしかなかったことになる。


飛行機は電車やバスよりも厳しい安全規制が適応されている。
90秒ルールなんて、この件で調べてみて初めて知った。
http://www.weblio.jp/content/90%E7%A7%92%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AB


もちろん火災だけでなく、何かあったら落ちる飛行機では、電車やバスよりも厳しい規定が適応されるの当然である。
なぜ車椅子の方は事前連絡が必要かはコチラのブログがわかりやすい。
http://isumi.rail.shop-pro.jp/?eid=2918


確かに今回バニラ・エアにも落ち度はあったし、男性の行動も強引だった。
でも私はあえていいたい、そんなの関係ない、と。
なんで弱者(身障者)が強者(健常者)に気を使わなければいけないのか。
普通逆であろう。
上に飛行機は特別だと書いたが、車椅子でバスに乗れるようになるまでにも激しいやりとりがあったという。
https://matome.naver.jp/odai/2146175068754745101


こんなふうに自分の強く自分の主張をする人がいることで他の身障者の肩身が狭くなるというツイートもあったが、過去を見るとそういう人がいなかったら未だに車椅子でバスに乗ることもできなかったのかもしれない。
無理やり飛行機に搭乗することで他の人の安全を脅かす危険もあったわけで、男性の行動を100%肯定する気はないけども、事前連絡がなければ搭乗できないというのはやはりおかしいと思う。


それに、身障者が行動しやすい社会というのは健常者にとっても同様である。
その上こういうことは明日は我が身であり、人間事故や病気で(事故や病気じゃなくても、老化によって行動は困難になってくる)突然身障者になる可能性もある。
そうなった時に、身障者に鞭打ったことを後悔しても遅いのである。
すぐには無理でも、徐々にそういう方向に向かってほしいと思う。
パラリンピックのホスト国として、バリアフリーすら満足にできないのは悲しいことではないだろうか。

アウトプットしないとインプットが適当になることがわかった

最近ブログをあんまり更新できていなかった。
面倒くさかったというのもあるが、なんだかんだで時間がなかったのが原因だ。


そんな状態が続いた昨今、あることに気がついた。
ブログのネタ探しをしなくなり、ニュースも積極的に見ようと思わなくなった。
ちょっとおもしろいと思うことがあっても、どうせブログ書く時間ないしなあと思って適当に流してしまうのである。
だから、ニュースなんか見てても全然おもしろくない。
どうせ下らないブログなんだし、書いても書かなくてもいっしょだと思っていたのだけども、そんなところに差が出てくるとは思わなかった。


どんな下らないことでも書くという行為は、一旦自分の中に取り入れて整理しなくてはならない。
また、情報の補足の為に多少の調査は必要だ(もっとも、私の場合は主にネットだけども。たまに本を当たるが)。
重要なのは情報の整理だと思うのだけれど、私の場合、ブログに書くという目的がないとそれをやらないようだ。
整理しないから要る情報と要らない情報の仕分けもしないので、バカスカ入れるだけ入れて入る隙間がなくなって入らなくなってしまう。
と、そんなところだと思う。


不器用だとは思ってたけども、自分がそんなに面倒くさい人間だったとは思わなかった。


と、そんなことが書いてあるであろう本。
未だ積読なので中身は分からないけども。

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夜間、横断中の事故の96%って、随分と大雑把なデータだなあ・・・。

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歩行者が夜間に道路を横断中に車にはねられた昨年1年間の死亡事故、625件のうち、96%の車のヘッドライトがロービームだったことが警視庁の調査でわかった。
夜間の死亡事故625件ではロービームが597件、ハイビームが9件、補助灯が6件、無灯火が13件だったという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160921-00050003-yom-soci

補助灯と無灯火ってなんだよとつっこみたくなるが、ここでいう夜間が何時からか分からないので、もしかしたら夕方も含んでいるのかもしれない。


個人的には、これは他人事ではない。
というのも、先日まさにハイビームであれば防げたであろう事故をやらかしたからである。
一応、ロービームとハイビームの使い分けについてはこちらに書いたので、参照いただければ幸いです。
的確なコメントもつけていただけたので、参考になるかと思います。
http://hyouge.doorblog.jp/archives/46139021.html


あれ以来、大丈夫だろうと過信はしない。
ハイビームでいけるところは必ずハイビームにすると決めた。
だからいうのだが、ロービームであった597件のうちハイビームであれば事故を起こさなかったといえるものが一体何件で、どんな状況だったのか明らかにすべきではないだろうか。
事故は一件一状況が異なる。
信号はあったのか?歩行者は車を認知していたのか?歩行者の服装は?時間帯は?道路状況は?ドライバーの健康状態は?
それらを検証せずして、96%がロービームだったとはあまりに大雑把である。


普段走るのは車通りがまばらな田舎道だからだと思うが、私の認識では、けっこう多くの人がロービームとハイビームを切り替えて使っている。
恐らくほとんどの人は状況に応じて切り替えているのではないだろうか(もちろん統計を取らないと分からないし、その上でないと上記の96%という数字もあまり意味はないと思うが)。


私は、何かあったらすべて車の責任という考えが間違いだと思う。
ロービームは40mしか届かないというが、それはあくまで車から見て障害物等をドライバーが認知できる距離であり、歩行者からは車の光源であるヘッドライトはもっと遠くから見える。
また、歩行者が反射材を身に着けていれば、例えロービームであっても40mよりも遠くから認知可能である(夜出歩くときはせめて白っぽい服を着てくれと思う。上下真っ黒い服なんて、轢かれたいとしか思えない)。
警察庁のサイトによると、反射材を着けている歩行者は、着けていない歩行者に比べて2倍以上手前から認知可能とある。
これはハイビームで認知できるとされる100mとほぼ同じである。https://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku/reflector/index.htm


ドライバーと歩行者(もちろん自転車も)が双方で気を付けることで、初めて事故は防げるのではないだろうか。
車、自転車、歩行者が混在している状況では(もちろんすべて分けられればそれが一番良い)、事故を防ぐにはそれしかないと思うのである。
事故を起こして悲しい思いをするのは、ドライバーも歩行者もないのだから。
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