いざっ!へうげもの

日頃自分が気になった事物を面白おかしく紹介します。

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日本経済

【悲報】天下り、現役に出向に形を変えて絶賛発動中

天下り規制が強化されてできなくなったが、その代わりに現役出向が2010年度から44%も増えているという。
給与水準や通勤手当など、待遇は天下り時と変わらないという。
http://www.asahi.com/articles/ASK8P4QZRK8PULFA015.html?ref=nmail


しっかしまあ、法律に触れないようにして出し抜く(もちろん法律自体も、いかように解釈できるように作ってある)ことに関しては天才的な連中だと思う。
官僚連中の倫理観はどうなっているのだろうか(もちろん皆がそうだとは思わないが)。
人の税金を預かる立場なのだからそれが一番大事なところだと思うのだが、今の日本にそれを期待しても無駄なのだろう。
つくづく正直者がバカを見る世の中である。


ただ、一つ気になるのは、出向時には高待遇を受けていても、いざ退職となった時の退職金はどうなるのだろうか。
天下りの旨味は高い給与もあるけども、退職金だろう。
やはりここは、出向したら退職金上乗せとか、出向特別金とかそんな感じで上乗せするのだろうか。


仮にも偉いとされている人たちなのだから、もっと期待に沿ってほしいものだ。
それはもちろん人間的なという意味で、なんとか事務次官とかどこぞこの企業の社長などという肩書ではない。
ましてや、私腹を肥やす為に天下りしたり出向したりする人間では決してない。


ということで思い出した、とんねるずの「一番偉い人へ」。
小学校の時の先生が好きだったな。
てか、作詞が秋元康さんなのか。
知らなかった。

夏休みの宿題はメルカリで終わらせる!?

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今日で夏休みも終わりだ。
2学期制だったり、寒い地方の方々は夏休みの終わりも早かったりするようだけども、まあ、大概の人は31日で終了となろう。


しっかし、スゴイ時代になったものである。
夏休みの宿題がメルカリ買えるのである。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/08/25/mercari-homework_a_23179053/

物議をかもしたそうだが、私としては性根たくましいというか、そういうことでもお金が稼げるのだなと単純にスゲーと思った。
もちろん夏休みの宿題をメルカリで買って終わらせたところで、終わったという結果は手に入るかもしれないが、計算問題の復習や、まがりなりにも本を読むという過程を完全にすっ飛ばすことになるので、本来の目的とはまったく乖離したものとなる。
宿題を買うことによって終わったという結果は手に入るものの、自分でやることで本来できるようになっていたことができなくなるというリスクを負うことになる。
そして、次回もまた買えばいいやと高をくくっていると、今度は出品されてなかったなんてことがあるかもしれない。
もちろん既にSOLD OUTや、高くて買えないなんてこともあるかもしれない(やはり一番値上がるのは31日なのだろうか)。
そういうことを理解した上で買うのは悪いことではないと思う。
むしろ、それはそれで素晴らしい教育であると私は思う。
お金を出せば大概のことでできてしまう現代社会において、それは素晴らしい悟りである。
そして今度は宿題をさっさと終わらせて売る側に回るwwww
立派な大人の仲間入りである(大人でもこれが分かっていない人は多いと思うが)


とまあ、ここまで書いておいてなんではあるけども、私は夏休みの宿題はなくていいと思っている。
夏休みの友と称した計算ドリル、読書感想文、統計図表、あんなものはいらない。
しかもそれで優れたものには表彰するとか、バカかと思う。
せっかくの長い休みがあるのだから(欧米に比べれば日本は短いけども)、普段できないことをやるべきだ。
自転車で日本一周もいいと思うし、長期間の旅行、好きなものを極めるなどなど、普段の生活ではできないことがたくさんある。
それらを潰してまで計算問題をシコシコやる意味なんてない。


そして、子供が好きなことをやるには、大人もきちんと長期の休みが取れることが必要だ。
大きくなってしまえば一人で勝手にやるが、小さいうちはそうはいかない。
子供が巻き込まれる犯罪も多いので目を離すのは危険だ。
というわけで、日本も欧米を見習って長期の夏休みを大人にも導入しましょう!!


ただ、リンクは発見できなかったが、仕事はバカンスの為にすると豪語するイタリア人も、低所得で長期のバカンスを取れないという人が多くなってきているという。
仮に日本で長期の休暇が取れるようになっても、それを楽しめるのは金持ちだけとなろう。
日本人が長期休暇を取れるようになるまでの道は遠いようだ。

参院選公示。アベノミクスはどう見ても成功じゃあないか。

今日参院選が公示される。
争点は改憲とアベノミクスの是非となろうか。
その一つ、アベノミクスについて、与党は成功だと言い、野党は失敗だとこき下ろす。
私が思うに、アベノミクスは成功であると断言できる。


アベノミクスで起きたことを一言で言うと、円安と株高、法人税を下げたことによる好調な企業業績である。
儲けたお金は溜め込み、タックスヘイブンへ流す。
結果賃金は上がらず、円安で原材料は高騰し、取られる分だけ増えた、となろうか。
http://news.livedoor.com/article/detail/11633602/


じゃあ失敗じゃあないか?
いやいや、大成功だ。
多少なりとも庶民にお金がいくようになるには、トリクルダウン(滴り落ちる)の有無の一点にかかっていた。
竹中平蔵氏もトリクルダウンは起きないと断言している以上(というか、タックスヘイブンなんてものがある以上、トリクルダウンなんて起きようがないのだが)、それはあり得ない。
まったくの嘘っぱちである。
しかし、あまりに庶民を締め付けすぎると、さしもの企業も持たないと考えてか、消費税増税はできなかった。
タックスヘイブンに逃げているお金を日本に持ってくれば問題は解決するのだが、もちろんそんなことはやらない。


以前どこかで、タックスヘイブンけっこう。
もっと稼いでお金を使ってもらった方が景気は良くなる(うろ覚えだが確かこんな内容だった)、というツイートがあったが、、それは間違いである。
お金を使われることはないし、税金として取られ、庶民へ再分配されることもない。
そもそもが私達から吸い上げたお金であるにもかかわらず、だ。
結果、格差は広がった。


民進党は「所得・資産の再分配と経済成長を両立させる経済政策への転換」訴えているが、タックスヘイブンに逃げているお金にもきっちり課税することで、解決できるのではないか。
個人消費が伸びないのは単純にお金が無いというものあるが、それ以上に将来が不安だからである。
将来が不安であるなら、稼いだお金は使わずに貯めておくしかない。
社会保障が充実することで将来の不安を解消し、賃金も上がれば景気も回復しよう。
それをやらずにアベノミクスのギア上げてフル回転させれば、格差がさらに拡大するのは火を見るより明らかである。

川内原発抗告審棄却 専門的知見を尊重した判断っていうけども、それって結局動かす方向にしかいかないよね。

九州電力川内原発1、2号機の運転差し止めを求めた仮処分の即時抗告審で、福岡高裁宮崎支部が脱原発派の住民の抗告を棄却した件について、読売新聞は社説において、「ゼロリスクに固執せずに、一定の危険性を想定して対処する」「原子力発電所の安全対策の要諦を的確に押さえた決定である」と伝えた。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20160406-OYT1T50119.html

一方で、高浜原発の運転差し止めについては、判例を逸脱した不合理な決定と伝える。
http://shasetsu.seesaa.net/article/434771227.html


高浜原発の件で「再稼働のポイントとなる地震規模の想定などについてまで、自ら妥当性を判断する姿勢は、明らかに判例の趣旨を逸脱している(判例とは、高度で最新の科学的、技術的、総合的な判断が必要で、行政側の合理的な判断に委ねられている、というもの)と伝えているが、結局のところそれは、裁判官に専門的なことなんて分からないから、よほどマズイ状況でなければ専門家に従いやがれ、と暗に言っているにすぎない。
確かに、裁判官に原発の設計や安全対策等の細かいところまで分かるはずはないし、分からないのであれば良いか悪いかも判断しようがない。
運転差し止めについては、裁判官にそんなこと分かるわけねーじゃねーかとこき下ろし、運転継続ならば、安全対策の要諦を押さえた決定だと持ち上げる。
結局持ち出せるのは、社会通念という曖昧な判断基準しかない。


また、「ゼロリスクに固執せずに、一定の危険性を想定して対処する」とあるが、まず最初にゼロリスクをうたったのは原発側である。
安全神話のメッキが剥げてゼロリスクが使えないとなると、ゼロリスクに固執するなと運転の口実にすり替える。
確かに世の中にゼロリスクなんてあり得ない。
あり得ないからこそ、有事の際の安全対策や避難経路は確保しておくべきである。
しかし、避難については自治体にぶん投げ、結局できることは屋内退避ときている(確かに福島第一原発の事故ではそれで良かったが、他でも同様とは限らない)。


ゼロリスクなんてあり得ない、固執するなとさえずる一方で、一番ゼロリスクを求めているのは原発側である。
原発は所詮湯沸し器であり、技術である。
特別なことは何もない。だからこそ、安全対策はきちんとすべきであるし、真摯に向き合うべきである。詭弁を弄して動かして良いものではない。
発電と突然故郷を失うことを天秤にかけて良いはずないのである(水力発電は天秤にかけた結果だけども、原発とはちょっと事情が異なる)。

高速道路の最高速度を120km/hに段階的に引き上げってことだけども、時期尚早じゃないか?

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警察庁は3月24日、現行で時速100kmとしている高速道路の最高速度について、安全条件を満たす区間に限り120kmへの引き上げを認める方針を決めた。
最高速度の引き上げは、1963年に日本で最初の名神高速道路が開通して以来初めて。
大型トラックの最高速度は現行の80kmのままとする方向だ。
共同通信などが報じた。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/03/23/highway-120km_n_9537352.html


試験導入は新東名高速道路と東北自動車道の一部となっており、確かに新東名は道も綺麗だしカーブもなだらかで、100km/hだと退屈に感じるくらいだから120km/hでも何の問題もないだろう。
というより、ほとんどの高速道路が120km/hでも大丈夫だろう。
ハード的には問題はない。
問題はそこを使う人である。


以前コチラに書いたが、視界が100mも効かないくらいの大雨でもヘッドライトも点けず、車間詰め詰めで晴天時と同じようにぶっ飛ばしているのを見ると(もちろん晴天時でもそんな走り方をしたら危険)、正直生きた心地がしなかった。
滞り無く流れている分には問題ないだろうが、前を走っている車がブレーキをちょっと強めに踏んだら恐らく対応できまい。
そんな人達が走っているのだから、制限速度が80km/hだろうが120km/hだろうがきっと同じように走るのだろう。
当然事故の確率は上がるし被害も大きくなる。
制限速度を上げる前に、必要なのはドライバーへの教育なのではないだろうか。


一方で制限速度自体が信用ならないという側面もある。
制限速度以上で走っても何も問題ないし(逆に危なくて、とても制限速度なんて出せない道もある)、むしろほとんどの人がそうしている。
逆に制限速度でテレテレ走っていると、交通の流れを乱して危ない位だ。
制限速度は本当にそれ以上だと危ない速度とし(もちろん多少のマージンは取る)、その上でその道の推奨速度を設けても良いかもしれない。


以上2点を問題点とし、できることなら高速道路だけでなく、一般道の制限速度も見なおして欲しいと考えている。
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