いざっ!へうげもの

日頃自分が気になった事物を面白おかしく紹介します。

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地域

輪廻のラグランジェの制作資料を聖地鴨川で保管するだと!?

千葉県は鴨川が舞台となったアニメ「輪廻のラグランジェ」の制作資料を同市で保管することを決めたという。

この取り組みは画期的で、12年かけて資料を整理し、新たな視点での展示会等を開催する予定という。

http://www.bonichi.com/News/item.htm?iid=10471



制作資料はアニメ会社にとっては宝のようなものであり、それこそ展示会等を除けば門外不出。

厳重に保管しているものだとばかり思っていたのだけども、場所に困って泣く泣く処分する場合もあることは知らなかった。

聖地巡礼に行って制作資料も見られるとなれば、喜ぶ人も多いだろう。

これは良い試みだと思う。

やる方は大変だけどもwww


●輪廻のラグランジェの思い出


ちなみに私は、事ある度に出てくる鴨川というフレーズが痛々しくて、
3話位で見なくなってしまった。

それが地元民(正確には鴨川ではないけども、他所から見れば千葉という括りで地元ね)故のものなのかどうかは分からないけども、これはやり過ぎだろうと思った。

私が感じたのと同じようなものを他の人も感じていたようで、クローズアップ現代で取り上げられた際には、「あざとい」「オタクなめんな」なんてあまりよろしくない言葉が並んでいた。

クローズアップ現代では、いかにも地元の商工会の人たちが地元丼のようなものを入れてくれとか進言している場面が映しだされたが(そうしたい気持ちも分かるけども)、実際はそんなに絡める機会は無かったなんて話もある。


個人的な意見だけども、おおよそのイメージさえ合っていれば別に鴨川でなくても良いのだと思う(具体的な地名を上げることで、その場所のイメージを抱かせることが物語上重要な場合もあるけども)。

見ていてそこがいい場所だなと思えば、行ってみたいなあなんて思うだろう。

もしかしたら、それは知っている場所だからそういう感情を抱かなかっただけかもしれないけども、物語がそこで展開していき、根底に流れる舞台という名の空気感なのだと思う。

そこに感銘を受ければ、行ってみたいなとなるのだと思う。


そういう点では、やはり舞台となる場所は背景であり脇役である。

脇役が突出してしまえば、バランスが崩れて良い作品とはならない。んなに良い曲であっても、伴奏がメインを食ってしまえばダメになってしまうのと一緒だろう。


聖地巡礼で他の地域が沸いているのを見れば、力が入り過ぎてしまうのも致し方無いのかもしれない。

でも、あくまでそれは副産物なので、あまり期待はしない方が良いのではないかと思う。

これまた個人的な意見だけども、ここが聖地でございとやられるのはあまり好みではない。

それでは聖地というよりはレジャーランドじゃないか



それでも、アニメをきっかけに聖地へ出かけるのは嫌いではない。

今までも、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」の秩父
true tears」の城端

「ヤマノススメ」の飯能
「らき☆すた」の鷲宮(ブログが消えちゃったので、気が向いたら載せます)くらいかな。

私も嫌いじゃないのですよ。

だからこそ、鴨川はもうちょっとなんとかならなかったのかなあと思う次第。
3話くらいしか見てない私が言うのもアレですが・・・。

ラジオ深夜便の「乗り物アラカルト」が素晴らしく癒されるwwww

IMG_3313


NHKラジオ第一で深夜1115分位から翌朝の5時まで放送しているラジオ深夜便で、好きなコーナーが2つある。

そのうちの一つが、もう終わってしまったが、「乗り物アラカルト」である。

伊藤健三アナウンサーが電車に乗り、車窓の風景を描写していくものだ。

ガタンコンガタンコンという電車の走る音と、淡々とした風景描写が素晴らしい癒しの時を与えてくれる。

その「乗り物アラカルト」が先日の鉄道の日に合わせてアンコール放送され、現在ストリーミング放送で公開されている。

 

 

現在公開されているのは鉄道音の旅シリーズで、「(1)能登 実りの秋」「(2)東京・葛飾 「寅さん」の街を走る富士の麓の岳南電車」「(3)初秋の鞍馬路をゆく」「4)「たま駅長」を偲んで~「たま電車に乗って」

4つ。

http://www.nhk.or.jp/shinyabin/jyoyou.html

 

 

個人的にはのと鉄道の回がグッと来る。

のと鉄道には乗ったことはないけども、能登半島は行ったことがあるので、知った名前が出てくるのが嬉しい。

また、にしぎし駅にはゆのさぎという看板が立っているといってくれるもの良い。

のと鉄道、乗りたくなってきた。

 

 

ストリーミング放送の公開は1110日までとのことなのでお早めに。

勃発!?ふるさと納税争奪戦!

ふるさと納税とは2008年に開始されたもので、応援したい自治体へ出資することができる。
納税となっているが、形式的には寄付であり、申告をすることでほぼ全額が税額控除される。


自治体としても用途が限られている財源とは違い、様々なことに活用できるので非常に有用な資金となっている。
今、このふるさと納税の奪い合いが生じているという。


●福島県に集まったふるさと納税

震災後、福島県へのふるさと納税は例年の100倍以上寄せられているという。
皆、がんばれなどの応援メッセージを添えてのことであるという。


正直自分はふるさと納税など忘れていた。
こんなにも誰かを応援しようと思う人達が多いのかと嬉しくなった。
ふるさと納税の成功例ではないだろうか。


自分が生まれ育った地、旅行でした素晴らしい体験など、誰しも思い入れのある土地はあると思う。
そこを直接支援できる、素晴らしい制度であると思う。


●各地で起こるふるさと納税の奪い合い

どこの自治体だってそれほど潤っているわけではない。
そんな自治体にとって、これほど美味しい財源はない。


ふるさと納税を一定額以上すれば特典を貰えるなど、各自治体は恩恵を得るべく必死になっている。
知ってもらって、好きになってもらって寄付してもらう。
自治体だって会社みたいなものだから、そういう営業努力は必要だろう。


寄付を奪い合うという構図は何となく違和感を覚えるものの、各自治体が特色を活かして行けることに繋がるのであれば良い事だろう。
また、日本に寄付という文化を根付かせることにもつながるのかもしれない。


ただ、確定申告の手続きはもっと簡略化は必要であると思う。
分かりにくいったらありゃしない。
控除をさせない為にわざとややこしくしてるんじゃないだろうか。



●これからは地方の時代?


ネットが発達してしまえばもはや都会にいる必要は無い。
これからは地方の時代である。


ふるさと納税応援サイト
http://www.furusato-nouzei.jp/


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日本に住んでいることはラッキーなのか?

フェイスブックでやりとりしているバングラデシュ在住の方に、あなたは日本に住んでいるからラッキーです、と言われた。
私は日本が大好きでのでラッキーだと思う、と返信したが、正直窮してしまった。


●日本に住んでいることは本当にラッキー?

バングラデシュは世界でも有数の貧民国として知られている。
現在は中国から逃げ出した製造工場などが建設され、高い経済成長が成されている。
ある意味今最も注目されている国である。


そんな国の人から見れば、日本は豊かで安全、とても良い国に見えることだろう。
確かにそのとおりではある。
でも、幸せかと言われると、私の答えはノーだ。


今の日本の豊かさは、臭いものに蓋をして、見ないようにしている結果にすぎない。
歪みは封じ込め続ければそのうつ爆発する。
そんな危ない足元の上に成り立っている砂上の楼閣にすぎない。


日本を心の底から好きだと言えるようになるにはどうすれば良いのだろうか。
一人一人が誰かの意見に阿ることなく、きちんと自分自身で考える必要に迫られていいるのではないだろうか。


バングラデシュの方とやりとりし、若干苦いものが残ったが、非常に考えさせられた。
このブログがとても参考になりました。
http://www.giftstotheearth.com/reports/bangladesh/post-15.html



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無宗教は世界では特殊なのかあ?

フェイスブックで徐々に海外の方とやり取りする機会が増えてきた。
友達になると人によるけれど、けっこうメッセージをくれたりする。
それが普通なのか、それとも神秘の国の日本人を構いたいのか分からないけれど、拙い英語をGoogle先生に補助してもらいながら何とかやり取りができている。
トルコ語からヘブライ語まで何でもござれだ(笑)


●日本人と宗教

フェイスブックでやり取りする上で、最初の方に聞かれるのが宗教は何ですか?という問いだ。
フェイスブックというと何となくアメリカやヨーロッパというイメージが強いが、アジア諸国の方も多く登録されていて、私は仏教徒ですという方が多い。
たぶん仏教徒であること(仏教だけに留まらず)に誇りを持っているのだと思う。
共通の話題をというのもあるかもしれない。
でも、遠い国の人達と同じ宗教について語るというのは、スゴイことではないのか。


日本で仏教というと、絢爛豪華な生臭坊主というイメージが強い(少なくとも自分の中では)。
もし、自分が仏教を信仰していたとして、そんなものを誇って他の国の人達に語れるだろうか。
もしかしたら、それは無宗教という立場から見た、非常に狭い見方なのかもしれないけれど。


絢爛豪華であることがいわゆる清廉潔癖であることと絶対的に相反するものではないのは確かだろう。
でも、それをなかなか受け入れることができないのは、お金が神様という意識に毒されれている結果なのかもしれない。
そうありたくないと思うのは、本当のところは自分がそうなっているからに他ならないのかもしれない。


私は無宗教です(I am no religion)と返信するとき、なんとも言えない違和感が襲う。

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