いざっ!へうげもの

日頃自分が気になった事物を面白おかしく紹介します。

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健康

ミライースのシートをレカロに変えたった

昨年末のことだが、ミライースたんのシートをレカロに変えた。
純正のシートで長く乗っていると、腰が痛くなるからだが、さすがに我慢できなくなってきた。
レカロに思い入れがあるわけではなく、可能であればフォルクスワーゲン辺りのシートを引っぺがして来てポン付けできれば一番良いのだけども、それはできないので。


交換自体は2時間ちょっとで終わった。
と書くと簡単そうだが、分かりにくい説明書で、んだよこれ、どこに付けるんだよと悪態を付きながらやった。
ここを外してこう付けるんだよ、なんて写真を撮りたかったのだけども、日が暮れてくるわ疲れるわで、それはもう早々にやめた。


シートは中古で、シートレール(ベースフレーム)と合わせて、金額は約45000円で済んだ。
車検が絡んでくるのでベースフレームは新品を買ったが、シート本体とほぼ同じ値段なのはちと納得いかない(シートは中古だけども)。



中古のシートは、リクライニングさせるダイヤルの片方が無く、もう一つの方はなにやらネバネバする。
ラッカーの薄め液で拭いてみたが、もうダイヤル自体が柔らなくなっており、表面のネバネバは落とせても、その下から更にネバネバした所が出てくるのでキリがない。
なので、それは放置することとした(別にシートとしての機能に不具合があるわけではないので)。

IMG_5572

結果こうなった。
正直もっとイタイ感じになるかと思ったけども、色味の関係かあまり違和感がない。
取り付け後に試乗してみる。
レカロは腰の下部、骨盤あたりをキッチリサポートしてくれるが、肩付近がちょっと前に出ているので、ちょっと猫背気味になり変に疲れる。
ミライースはハンドルが固定なので(チルトもテレスコピックも無い)、人間側が調整してやる必要がある。
そのせいもあるのだろうが、どうにも落ち着かない。
どうしたもんかと試行錯誤してるうちに3ヶ月経ってしまったわけだが、結果としてエアランバーサポートを腰の後ろ辺りに差し込み、わずかに膨らませた。
これにより湾曲を平にし、猫背を解消したわけだ。もちろん完璧ではないものの、最初よりはだいぶマシになった。


とりあえずはまあ、これで長距離運転もこなせそうである。

この2週間、すっかり情報弱者になっちまったぜwwwww

私的なことだが、2週間ほど前に手を怪我した。
坂道ですっ転んび、表面がギザギザのアスファルトに思い切り手をこすりつけてしまった。
おかげで手の平の膨らんだところ(親指と小指の付け根辺り)の皮が盛大にズル剥けてしまった。


ことの顛末はこちらで。
http://hyouge.doorblog.jp/archives/26911862.html


これがまたけっこうな痛さだ。
いままで普通にやっていたことが、手の痛さがあることで思うようにできない。
不便ったらありゃしない。
おかげでもう何もする気になれなかった。
パソコンに向かうことすら億劫なのだから、ブログはおろかいつもやっている情報収集すらやらなかった。
メールすらまともに見ていなかったのでたまったことたまったこと。


パソコンにまともに向かうことのなかった約2週間、改めて思ったことは、私のような何の役にも立たないような情報収集であれ、自ら求めていかなければあっという間に取り残されてしまう、情報弱者になってしまうのだということだった。
てか、つまらない。


パソコンが無ければ入手できる情報の源はテレビかラジオくらいだ。
個人的には、ラジオはまだマシだと思っている。
本当の情報、ジャーナリズムがあると思う。


けれどテレビは本当にダメだ。
どこぞの誰かが発したことを右から左に伝言ゲームをするだけだ。
しかもその途中で下らない演出を加えて面白くしようとするものだからさらにおかしくなる。
情報源がテレビのみって、スゲー怖いことだと思った。


●人間の発明の中で、最高で最低のものはなんだか分かるか?

テレビさ。
テレビがこんな下らないことに簡単に引っかかってしまう人間を作ったのだ。
今やテレビが宗教なのさ。
私の好きなアニメ、カウボーイビバップの中でも一番好きな話である話、ブレインスクラッチに出てくる言葉である。
まあ、興味があれば見ていただくとして、まさしくその通りだと思う。



情報を垂れ流し、一方的に受け取るという形はテレビもラジオも変わらない。
しかし、受け取る際の思考は大いに異なると思う。
ラジオの場合、映像は自分で補完しなければならない。
一方テレビでは、映像も流れてくるので情報を受け取る際の思考ははるかに少ないと思う。
つまり何も考えなくて良いのだ。


思考しないことの怖さ。
自ら求めないことの怖さ。
手の怪我から大切なことを学んだ気がする。

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比較は無意味?被曝は足し算で考えよ

最近では放射線量を示すシートベルトよりも、食べ物や水に含まれる放射性物質の量を示すベクレルの方を良く耳にするようになってきた。
被曝の脅威は全く変わっていないのだけれど、喉元すぎればなのか・・・。


●被曝量を比較しても意味はない

震災当初、次々に検出される放射線量に対し、自然界やレントゲン等によって受ける放射線量が比較対象として用いられた。
マスコミ各社はこぞって、今回検出された放射線量は自然に受けるものと比べて大したことはありません、と伝えた。


この比較が無意味であることを知らなかったということはないだろう。
多分、意図的に大したことがないような印象を与えたかったのではないだろうか。


自然被曝について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A


●被曝は4階建て、足し算で考える

私達が普通に生きていて被る被曝は3つある。


1.自然被曝
宇宙線や、天然の放射性物質から受けるもの。


2.治療被曝
レントゲン等、医療行為によって受けるもの。


3.原爆被爆
過去の核実験によって撒き散らされたもの。


そして4番目に原発事故によって撒き散らされたものが加わる。
被曝は1~4全ての総量で評価すべきものであり、自然被曝と比較して少ないから大丈夫ということではない。


比較の論法を用いることで誤った印象を与えたマスコミの功罪は大きい。



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断食一週間の果てに見えたもの

俺ってつくづくバカだと思う。
やってみないと分からないのだから・・・。


●断食一週間

このままで良いのかなど、いろいろ悩みがあって断食を決行した。
と言っても、さあやるぞ、と意気込んだものではなく、半ばなし崩し的にではあるけれど。
正直これで死ぬなら死んでも良いとすら思っていた。


最初2日くらいは水すら取らなかった。
その後もごく最低限だ。


3日が過ぎるころには空腹感すらしない。
ただ、ひどく喉が渇いた。


それ以降になると、少し頭がボーっとしてきて、ひどい脱力感に襲われる。
用を足しに少し歩いただけでも心臓が早鐘を打つのが分かる。
体がとても重い。
空腹はもはや痛みに変わっていた。
仰向けになると腹が凹んで内蔵の形が分かって気持ちが悪い。


そして一週間が立つ頃にはもうフラフラになっていた。
でも、意識はしっかりしていて、噂に聞く幻覚や幻聴などの幻想的な体験はついぞすることはなかった。
ちと残念。


でも、ここが生死の境目だと言うことが何となく分かった。
それでやめた。
夜中、フラつく足取りでコンビニに行って肉まんを食べた。
ちょっと粉っぽくて、ちょっと塩辛かったその肉まんは、これ以上ないというくらいに美味かった。
でも、同時に疑問も沸いてきた。


●テレビばっかり見ていた一週間

断食中はできるかぎり外界の情報は入れないようにしようと思っていた。
でも、それは想像以上に辛いものだった。
情報に飢えるというわけではなく、何もしていないと空腹や喉の渇きに意識が行ってしまうのだ。
夜は眠ろうと思っても眠れない。
それがものスゴク辛かった。


断食中、あえて食べ物番組をよく見た。
食べたいのに食べられない苦しみは相当のものだが、そこはあえて苦しい方を選択した。
ちなみに、一番辛かったのは「吉田類の酒場放浪記」だった(笑)


それにして、食べ物番組の多いことに驚く。
どこがウマイ、どこが安い、どこがオススメ、なんでもござれ。
普段グルメ番組なんてそんなに見ないので驚いた。
困ったときの食べ物というのは今も変わらないのだろうか。


●肉まん食べて考えた

断食明けに初めて口にした肉まんは、その後激しい胸焼けを伴った。
やっぱりもっと胃にやさしいものから始めなきゃいけなかったようだ。


それはともかく、肉まんを食べて思ったのは、「こんなに簡単に肉まんを食えて良いのかなあ」ということだ。
肉まん代を持っていない人はそれすらできないという経済的な問題は他に譲るとして、本当にこんなに簡単に命を食えてしまって良いのだろうかとその時思った。


因果応報という言葉がある。
良い行いをした人には良い報い、悪い行いをすれば悪い報いがある。
少し意味は違うかもしれないが、こんなに簡単に命を食うってことは、逆に人間が簡単に殺されて食われたとしても文句は言えないだろうなあと思った。


絶対にこれは良くない事だと思う。
本質的には無価値のお金さえ出せば簡単に命を食べることができてしまう。
矛盾だ。


図らずも矛盾は人口の増加と食糧不足によって解消される予想となっている。
食料の値段は高騰し、いずれはお金と交換なんてできなくなるだろう。
でも、それが本来の姿ではあるまいか。


腹が空くことはありがたい。
食べられることはもっとありがたい。
でも、食べているのは命である。


翻って、グルメ番組とは命を扱っているのだという意識は・・・無いだろうなあ。
そういうことに慣れては絶対にいけないと思う。


いのちの食べ方の続編というわけではないだろうが、食の問題を扱った作品。
今度見てみようと思っている。
今なら分かる気がする。

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花粉症バンザイ \(^o^)/

さて、前回とは全く逆のタイトルですが、そうではございません。


●万年鼻炎鼻人間が思うこと

花粉症の時期は良い。
なぜって?
鼻をズルズルやってても花粉症だと思ってくれるからだ。


花粉症の時期にはズルズルやってても奇異な目で見ないくせに、それ以外の時期では不快そうにチラチラ見てくる。
ざまあみろだぜ!!
花粉症バンザイ!!


万年鼻炎持ちの人間の気持ちが分かるか!!


ちなみに私は血液検査したところによると、杉に限らずブタクサやらいろいろなものにアレルギーがあるそうです。
詳しくは調べていませんが、万年花粉症なんじゃないかと思うております。


●パブロンの鼻炎薬は神!

そんな私が愛用しているのがこのパブロン点鼻!!
レビューがもはやヤク中のそれですが、そのくらい効きめあります。
これが無いともはや生きていけません(笑)



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